私は現在、そろタッチ和泉多摩川校・狛江校、学研和泉多摩川駅前教室など、家庭教師、学び舎川口など、さまざまな形で教育に関わっています。
実は、私は子どもの頃から教育に興味がありました。
一方で、弁護士になりたいという気持ちも子どもの頃からありました。
算数や数学が好きで、理系科目が得意だったので、理系に進みたい気持ちもありました。
それでも、苦手な文系科目と向き合ってでも弁護士を目指したいと思う気持ちもありました。
ただ、私が、職業を選ぶ際の根本となる考えがあります。
それは、必要とされる場所で力を発揮したいという思いです。
さまざまな経験を重ねる中で、私が最も必要としていただける場所は教育の世界なのだと、少しずつ感じるようになりました。
教育の仕事は、大人になってから偶然選んだものではありません。
気がつけば、子どもの頃からずっと私の人生の中にありました。
この記事では、私がなぜ教育の仕事を選び、今も教育に関わり続けているのかを紹介します。
私は「教育を受ける側」として育った
習い事漬けだった子ども時代

私は未就学児の頃から、多くの習い事を経験してきました。
そろばん、英会話、公文、学研教室、塾、ピアノ、水泳、サッカー、野球、ボウリング、バイオリン、習字。
思いつくだけでも、これだけあります。
特に小学生の頃は、週7日予定が埋まっている日々でした。
今では教える立場ですが、子どもの頃の私は、教わる側として非常に多くの教育を経験してきました。
ピアノは未就学児から中学生まで続けました。
バイオリンも経験しました。
スポーツも経験しました。
いわゆる勉強系の習い事もたくさん経験しました。
さまざまな教育や習い事を「受ける側」として経験してきたことは、今の私にとって大きな財産です。
子どもが習い事に通うとき、そこには必ず先生がいます。
説明の仕方、声のかけ方、教室の雰囲気、子どもとの距離感。
私は子どもの頃から、そうしたものを多く見てきました。
良い先生からも、苦手な先生からも学んだ

たくさんの習い事をしていると、本当に多くの先生と出会います。
優しい先生。厳しい先生。面白い先生。説明が上手な先生。
一方で、子どもながらに「自分には合わないな」と感じる先生もいたのも事実です。
私は授業を受けながら、
「この説明は分かりやすいな」
「こういう声かけはやる気が出るな」
と感じることがありました。
逆に、
「自分ならこういう言い方はしないな」
「こう接すると子どもは嫌な気持ちになるのではないか」
と思うこともありました。
苦手だった先生からも学ぶことはありました。
嫌な経験も、将来自分が教える立場になったときの反面教師になります。
私は子どもの頃から、教育を受けながら、同時に自分が指導者になったときのための勉強をしていました。
小学生の頃から教育にも法律にも興味があった
算数や数学が好きだった

私は算数や数学が好きな子どもでした。
本は全然読まないのに、時間さえあれば、算数図鑑を読んでいました。
理系科目が得意で、将来は理系に進みたい気持ちもありました。
問題を考えることが好きでした。
どうしてそうなるのか。
なぜその答えになるのか。
別の解き方はないのか。
そういうことを考えるのが好きでした。
今の指導でも、単に答えを出すだけではなく、
「なぜそう考えるのか」
「どこでつまずいているのか」
「その子にとって分かりやすい説明は何か」
を大切にしています。
この姿勢は、子どもの頃から算数や数学に親しんできたことともつながっているでしょう。
一方で弁護士にも憧れていた

私は、子どもの頃から弁護士にも憧れていました。
しかし、文系科目は苦手でした。
それでも、弁護士になりたいという気持ちはずっとありました。
小学生の頃から理想の塾を作りたいと思っていた
小学2年生から始まった中学受験

私が中学受験の勉強を始めたのは小学2年生の2月頃(新小3)です。
塾では成績の良い生徒として扱われていました。
最終的には、市川中学校、開成中学校、栄光学園中学校、筑波大学附属駒場中学校に合格しています。
塾では「エース」として先生から期待される立場でした。
もちろん、期待されることは悪い気持ちではありません。
ただ、私の関心は自分の成績だけではありませんでした。
塾で見ていた世界と、学校で見ていた世界には、大きな違いがありました。
塾と学校で見た大きなギャップ

小学校へ行くと、塾とは全く違う世界がありました。
放課後に残って先生と勉強している同級生がいました。
授業についていくのに苦労している様子でしたが、その子なりに頑張っているのも私は感じていました。
塾では当たり前だと思っていたことが、学校では当たり前ではありませんでした。
同じ学年なのに、どうしてこんなに差があるのだろう。
勉強が得意な子だけを見ていてよいのだろうか。
そういう疑問が、少しずつ自分の中に積み重なっていきました。
私自身は勉強が得意な方でした。
しかし、だからといって誰もが同じように勉強できるとは思いません。
むしろ、勉強に苦労している子の方が気になりました。
この感覚が、今の私の教育観の原点です。
自分ならどういう塾を作るかを考えていた

小学生の頃から、私は「自分ならどういう塾を作るだろう」と考えていました。
集団の中で埋もれてしまう子をそのままにしたくないという思いはありました。
成績上位の子を伸ばすことも大切です。
一方で、勉強に苦労している子、一斉授業では理解しきれない子、質問するタイミングを逃してしまう子にも、もっと目を向ける必要があるのではないかと思っていました。
私は優秀であることがすべてだとは思っていません。
誰もがトップを目指す必要もありません。
一人ひとりが自分なりに成長することに大きな意義があります。
その考えは、子どもの頃から今まで変わっていません。
そろばんも今の教育観に影響している
小学校入学前から続けたそろばん

そろばんも、今の仕事に大きく役立っています。
私は小学校入学前に珠算3級を取得しました。
小学校1年生では暗算1級を取得しています。
暗算1級は、全珠連と商工会議所の両方で合格しました。
その後も珠算と暗算を続け、小学校4年生か5年生の頃には珠算2級を取得しました。
当時は暗算と珠算の検定が一体となっていたため、暗算は1級止まりでしたが、暗算3段程度の点数を取っていました。
大会や検定で学んだこと

小学校3年生では東京都大会に推薦出場しました。
通っていたそろばん教室で、私が唯一の推薦でした。
教室では力がある方なのに、都大会では、一切活躍できずに、上には上があるこを知りました。
小学校4年生からは町田市大会が開催されました。
総合部門で3年連続3位になったものの、2位までが都大会出場だったので、結果的に3年生が最初で最後の都大会になりました。
町田市大会では、読み上げ暗算は3連覇。読み上げ算も1回優勝しました。
結果だけを見ると、順調に見えるかもしれません。
しかし、当然ながら、その裏には日々の練習がありました。
思うようにできない日もあります。
努力しても、すぐに結果が出るとは限りません。
それでも続けていく中で、少しずつできることが増えていく。
そろばんを通じて、目標に向けて努力することの素晴らしさを身につけることができました。
努力と成長のプロセスを知った

そろばんを通じて学んだことは、今の指導にも活きています。
努力を続けること。
少しずつ成長すること。
結果が出るまで諦めないこと。
そして、人によって成長のスピードが違うこと。
子どもたちは一人ひとり違います。
同じ学年でも違います。
同じ教材を使っていても違います。
すぐにできる子もいれば、時間をかけて伸びていく子もいます。
私はそのことを、自分自身の経験からも感じてきました。
子どもたちを見るときには、「今できているかどうか」だけではなく、
「どう伸びていく途中なのか」を見るようにしています。
中学生の頃には家庭教師になりたかった
一人ひとりと向き合う仕事への憧れ

私は中学生の頃には、家庭教師になりたいと思っていました。
学校の先生でもなく、塾講師でもなく、家庭教師でした。
一人ひとりと深く向き合える仕事だからです。
勉強に困っている子を支えたい。
一人ひとりの力になりたい。
その子に合わせて教えたい。
小学生の頃から感じていた教育への問題意識が、家庭教師という仕事への憧れにつながっていったのだと思います。
高校生の頃には会社を作ることまで考えた

高校生になると、教育への思いはさらに強くなりました。
どうしたら家庭教師ができるのか。
どうしたら理想の教育ができるのか。
会社を作ることまで考えていました。
当時、知人から家庭教師をしているという話を聞くと、とてもうらやましく思いました。
それほど、私は家庭教師という仕事をやりたいと思っていました。
教育業界への思いは、大学生になってから急に生まれたものではありません。
子どもの頃から少しずつ育ってきたものです。
大学1年で家庭教師を始めた

2005年に高校を卒業し、2006年に慶應義塾大学経済学部へ入学しました。
そして大学1年生から家庭教師を始めました。
ようやく念願が叶った瞬間でした。
実際にやってみて、やっぱり私は家庭教師という仕事が好きでした。
生徒の成長を見って、一緒に歩むことが好きでした。
苦手だったところができるようになる瞬間を見ることが好きでした。
そして何より、一人ひとりと向き合えることが好きでした。
子どもの頃から教育に興味があり、中学生の頃には家庭教師になりたいと思い、高校生の頃には教育の仕事について考え続けていました。
大学1年で家庭教師を始めたことは、私にとって特別な出来事であると同時に、ある意味では必然だったのかもしれません。
法律の道にも本気で挑戦した
理系だった私が法律を目指した

私は理系科目が得意でしたし、好きでした。
理系の分野に興味があったので、高校生の頃までは大学は理系に進むことも考えていました。
しかし一方で、子どもの頃から弁護士になりたいという気持ちもありました。
文系科目は苦手でしたが、浪人して受験勉強に専念するからには、法律の世界に挑戦したいと考えました。
浪人と同時に文系に転じました。
しかし、文系科目の壁は高く、大学受験では苦労しました。
法学部に進みたくて多くの大学を受験しましたが、不合格が続きました。
それでも、数学が得意だったことに助けられ、慶應義塾大学経済学部だけには合格することができました。
慶應義塾大学経済学部から一橋大学法科大学院へ

2006年に慶應義塾大学経済学部へ入学し、2012年に卒業しました。
卒業に6年かかりましたが、卒業と同じ年に、一橋大学法科大学院へ進学しました。
法科大学院は3年制で、2015年に修了しました。
一橋大学法科大学院に進学できたことは、自分でも驚きでした。
私立の法科大学院に進むことになるのだろうと思っていました。
しかし、ご縁があり、一橋大学法科大学院で学ぶことになりました。
法律の道にも本気で挑戦しました。
一方で、法科大学院に進学することは、私にとって教育業界から離れることでもありました。
法科大学院では、勉強中心の生活になるので、家庭教師をする余裕はありません。
大学1年生から家庭教師をしていた私にとって、それは大きなデメリットでもありました。
法律を学びたい。
でも教育の仕事から離れることには葛藤がある。
その両方の気持ちがありました。
司法試験に5回挑戦した

2015年に法科大学院を修了し、2015年から2019年まで司法試験を受験しました。
当時の司法試験は、法科大学院修了後に5年5回の受験資格が与えられる制度でした。
私はその5回をすべて受験しました。
司法試験は、受けるだけでもハードな試験です。
試験は5日間(3日目は試験なし)にわたって行われ、試験時間は合計で約20時間あります。
そのほとんどが論文式試験で、当時は全部で数万字にもわたる答案をボールペンで手書きしていました。
私は会場が少し遠いこともあり、毎年ホテルに5泊して受験していました。
初めて受けたときは、試験の初日の途中から全身が筋肉痛になりました。
もちろん2回目以降も、途中からは全身が筋肉痛です。
試験のない3日目は、毎年ぐったりして昼寝ばかりしていました。
司法試験への挑戦は、筋肉痛との戦いもあります。
ボールペンを選ぶことや、持ち方の研究に加え、磁器治療器なども活用しました。
それだけハードな試験に5回挑戦しきったことは、今でも誇りに思っています。
司法試験の経験自体が、今の仕事にも大きく役立っていますし、司法試験予備校で学んだことも大きく役立っています。
司法試験予備校での講義が、教える立場としてすごく参考になっています。
教育はずっと人生の中心にあった
昼は勉強、夜は家庭教師

法科大学院を修了してからは、司法試験の勉強をしながら教育の仕事を続けていました。
昼は勉強。夜は家庭教師。
仕事としては、ほぼ家庭教師専業に近い形でした。
司法試験の勉強は大変でしたが、生徒と向き合う時間は私にとって大切な時間でした。
法律の勉強をしながらも教育の仕事を続けていたことで、自分にとって教育がどれほど大きな存在なのかを少しずつ感じていきました。
旅行業界も経験した

司法試験を一度受験した後、家庭教師もしながら旅行業界の仕事も少し経験した時期もありました。
私は旅行も好きですし、総合旅行業務取扱管理者という国家資格も取っています。
教育とは違う世界を仕事として見ることができたのは、私にとって貴重な経験でした。
しかし、やはり自分が力を発揮できるのは教育業界だと感じました。
私は教育業界に「戻った」というより、そもそも教育との関わりをずっと持ち続けていました。
法律を学んでいる間も、旅行業界を経験した時期も、教育への関心がなくなることはありませんでした。
司法試験を終えたときに感じたこと

司法試験の受験資格を使い切ったとき、私の中にはいくつかの気持ちがありました。
やりきった達成感。大きな開放感。そして、悔しい気持ち。
それらが同時にありました。
ただ、「もっと続けたい」という気持ちはありませんでした。
5回すべて受験しきったからです。
本気で挑戦しました。
最後までやりきりました。
だからこそ、自分の中で区切りをつけることができました。
そして司法試験に挑んだ時期は、結果的に自分の居場所を見つけるための期間でもありました。
法律にも本気で挑戦した。教育の仕事も続けた。
その中で、自分が最も必要としていただける場所は教育なのだという思いが強くなっていきました。
司法試験には本気で挑戦していたものの、後半の時期は、合格しても弁護士の道に進まず家庭教師を続けようと思っていました。
私が教育の仕事を続ける理由
必要とされる場所で力を発揮したい

私は昔から、必要とされる場所で力を発揮したいと考えていました。
教育の現場では、一人ひとりの子どもに違いがあります。
すぐに理解できる子もいます。
時間をかけて理解する子もいます。
自信をなくしている子もいます。
本当は力があるのに、集団の中では目立たない子もいます。
様々な子どもたちと向き合う中で、私は自分が必要とされていることを感じてきました。
もちろん、教育の仕事は簡単ではありません。
思うようにいかないこともあります。
しかし、それでも私はこの仕事が好きです。
一人ひとりの成長に関われることに、大きな意味を感じています。
教育は私の居場所だった

私は教育だけを見てきたわけではありません。
法律にも本気で挑戦しました。
旅行業界も経験しました。
しかし振り返ってみると、教育はずっと私の人生の中にありました。
未就学児の頃から多くの習い事を経験し、
小学生の頃から教育について考え、
中学生の頃には家庭教師になりたいと思い、
高校生の頃には会社を作ることまで考え、
大学1年で家庭教師を始め、
法科大学院に進学してからも、
司法試験を受験している間も、
教育との関わりは続いていました。
教育は、後から選んだ仕事ではありません。
ずっと自分の中にあったものです。
そして今、私は教育が自分の居場所なのだと感じています。
現在の活動

現在は、そろタッチ和泉多摩川校・狛江校、学研和泉多摩川駅前教室、家庭教師、学び舎川口など、さまざまな形で教育に関わっています。
そろタッチ和泉多摩川校・狛江校では、暗算力や数字感覚を育てる学びに関わっています。
学研教室でも、子どもたちの基礎学力を支える仕事をしています。
家庭教師では、一人ひとりの状況に合わせて指導しています。
学び舎川口では、個別に学びを支える場を作っています。
形はそれぞれ違います。
しかし根底にある思いは同じです。
一人ひとりの成長を支えたい。
その子に合った学び方を一緒に考えたい。
そして、一緒に歩んで、一緒に成長を喜びたい。
勉強が得意な子だけでなく、苦労している子にも目を向けたい。
その思いで、今も教育に関わっています。
おわりに

私は子どもの頃から、教育にも法律にも興味がありました。
算数や数学が好きで、理系に進みたい気持ちもありました。
一方で、弁護士にもなりたいと思っていました。
その中で、教育への思いもずっと持ち続けていました。
小学生の頃から理想の塾を作りたいと思っていました。
中学生の頃には家庭教師になりたいと思っていました。
高校生の頃には、会社を作ることまで考えていました。
大学1年生で家庭教師を始めました。
法律にも本気で挑戦しました。
司法試験にも5回挑戦しました。
それでも振り返ってみると、教育はずっと私の人生の中にありました。
教育は、後から選んだ仕事ではありません。
子どもの頃から続いている、私の大切なテーマです。
これからも、一人ひとりの子どもたちと向き合っていきたいと考えています。
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